≪終わってしまう前に、終わらせよう≫☆「災後」に読む和辻哲郎☆企画:「編集意志3.11」editing will発刊準備室


終わっちまう前に、




おわらせよう。




Season1.「災後」に読む和辻哲郎 第55回

2017年 2月25日(土)午後2時 @喫茶室ルノアール大久保

会議室



西田幾多郎「私と汝」(『無の自覚的限定』所収)の

1940年代西田への前方互換性を検討します。



足かけ5年目に入りました。

まだまだ「何も始まっていない」ような気もしています・・・

アジア的循環に瞑目して投身しますか。

<風土>の

読み替えが着替えに連なり、生き替えに連なるということも

とくには「ない」、ような気がしています。

むしろ、〈大地〉の包握prehensionこそが今、問われています。

津田眞一『アーラヤ的世界とその神――仏教思想像の転回』と

和辻哲郎『原始仏教の実践哲学』の対読プログラムも動き始めています。

共読の場は、いよいよ元気です。

バーの片隅では、何かの始まりが感じられる、ようです。

酔っているのでしょうか。

editorial engine岡田啓司 2015年7月24日 記

只今、会場漂流中。

第55回の会場は「喫茶室ルノアール大久保店」会議室です。





以下をご確認下さい。

会場地図↓

喫茶室ルノアール大久保店






↓毎月1回通年講座





「災後」に読む


和辻哲郎



2011〜2017



『日本倫理思想史』から『倫理学』へ

「国土」の一部をえぐりとられるような衝撃と



痛恨をもたらし、もたらし続ける



東日本大震災と原発事故の発災。



何かが終わろうとし、



何も始まらないかもしれない現在、



3.11後の、わたしたちが立つ場所と、言葉と、



生存の意味を問う。







season.2


 [ブックカフェ]
「災後」に読む《読み会》Season2
《和辻哲郎と京都学派》

「封印」を読み解く

『古寺巡礼』や『風土』で知られる和辻哲郎の「倫理思想」は、1943年に和辻が行なった「尊王思想の歴史について」なる「ご進講」の一事によって、戦後66年ものあいだ半ば「封印」状態におかれてきました。

この「封印」は数ある例のうちの、ほんの一例です。しかしわたしたちが今、これを紐解こうとするのは決して封印を解くこと自体を目的とするものではありません。

倫理/倫理思想/倫理学における「倫理思想」が照らし出すもの

和辻『日本倫理思想史』を今ひも解こうとするのは、この≪列島≫上で「自前の思考」を進め「自分のアタマで考える」というごく当たり前のことを、3月11日以降の今からやりおおせようとするとき、もっとも強力な導き手でありうると思えるからです。

その意味では、和辻「倫理思想史」は、出立点に過ぎません。和辻が明快に切り分けた「倫理」と「倫理思想」と「倫理学」という範疇を活かすこと。このことによって、わたしたちが置かれた現在を多彩に照らし出していくことができるはずだという直観と期待。これはおそらく裏切られることはないでしょう。ここで「倫理思想」とは明治維新前と維新後を貫き現在に及んでいる「外来的な日本語」による「動くエートス」を照らし出し、わたしたちのありかたを問い、編み直すための契機を指し示すものです。

戦後思想の3.11後のアクチュアリティを「編み直す」

その照明の明かりは、丸山眞男『日本政治思想史研究』(書かれたのは1940年代)や、
吉本隆明『共同幻想論』などの傑出した戦後思想の3.11後のアクチュアリティをも照らし出すことになるでしょう。その光源のもとに照らし出してみたい問題群の一端は、次のようなものですが、これらは言うまでもなく呼び水に過ぎません。テクストを「読む」ことをとおしてのみ、新たに多様に、その問題群は増殖・交錯し、僕らの行方を薄ら明かりのなかに照らし出してくれることでしょう。
――――――――――――――――――――――――――――岡田啓司(「編集意志」発刊準備室)記

  • 「倫理」と「道徳」と「善悪の彼岸」
  • 「個人と社会」という問題構成の問題
  • 「日本語」とナショナリティ
  • 「政治」と「ナショナリズム」
  • 「資本主義」と「倫理思想」etc, etc,

■開催日時
Season2.《和辻哲郎と京都学派》
第55回は、西田幾多郎「私と汝」(『無の自覚的限定』所収)の1940年代西田との前方互換性を検討します。
2017年2月25日(土)午後2時より開催

(以下は、2013年2月19日に開催された第13回に向けたノートです。この回のレポートを
含めて間もなく更新予定です。)只今リンク切れ中。

2013年2月開催第13回のハイライト⇒

「独書」と「座読ー間読ー共読」の輻輳の波に乗って『日本倫理思想史』全4分冊をまるで大河ドラマをスキャンするように読み終えたのは、鎌倉は東慶寺にある和辻家の墓に墓参した2012年10月27日のこと。神話伝説・弥生・縄文時代から明治時代までおよそ3千年に及ぶ日本の歴史に顕現する「倫理思想」を解釈学的に浮上させるスタイルのこの思想史について、
昨今の歴史学の成果に照らして疵を求めることはむしろ簡単なことかもしれません。
その最新成果主義を乗り越えるための「共読」でもあったのです。
会した一人H氏によれば、「一人ではとても通読できなかった。その歴史記述ちょっと待った!的なツッコミどころは満載だ」からです。しかし、私たちがそこからシャワーのように浴びることができたのは、和辻の「方法」であったと思います。「歴史学」としての成果を、
そこに問うのはナンセンスというより無粋です。
名付けのまだない「史観」を汲み取るとでもいいましょうか、
それが会した人々に共有された成果です。

年改まって2013年正月第1回・通算13回からは、
和辻「方法」の魂を携えたまま、『倫理学』に手を伸ばすことになりました。昨年の何回めかに『倫理学』のプロレゴメナ(序論)というべき『人間の学としての倫理学』を
すでに共読してもいます。みんなある意味、うずうずしていたわけです。

「読みやすさ」という点では、圧倒的に『日本倫理思想史』。しかし、和辻の『倫理学』は和辻自身が断っているとおり、「この書の内容は倫理学書としてはなはだ異様」なのです。
「体系的」かもしれませんが、「いたずらに既成の倫理学書の定義や概念を並べ立ててその整理をもって能事おわれり」とするものではありません。第4分冊からは『風土』の世界史的展開も試みられている。かつ、「日本語で哲学する」大実験の書でもあるという期待に胸ふくらませて(笑)臨むことができるはず。書名の印象から「固そう」と敬遠すると損します。

というわけで2013年正月第1回『倫理学』第1分冊(岩波文庫)序論から始まった共読、
『日本倫理思想史』との併せ読みの可能性など、読みの戦略にはまだ未到達ながら、
二年余りかけて第1、2分冊を読了しました。2014年後半は3分冊を、2015年4月全分冊を、
読了、第39回からSeason2として《和辻哲郎と京都学派》という大きな括りのもと、
手始めにヘーゲルを読むことにしました。他に西田幾多郎『善の研究』も共読候補に
挙がっています。そこは柔軟に、Season1で読み込んだ和辻『倫理学』における、
ヘーゲルの《人倫》の変奏がどのようになされたかを参照すべく、
ヘーゲル『歴史哲学講義』に続いて西田幾多郎『善の研究』を共読にすることになりました。
記 editorial engine

 初参加大歓迎です。第55回は西田幾多郎「私と汝」 を、時代に間に合わなかった〈包摂の論理〉の観点から共読します。

ご質問その他は、お問い合わせフォームよりご連絡ください。テーマを巡ってのご意見、先回ご参加の方は、言い足りなかったことなど、なんなりとお寄せください。



■場所
中野・坊主バー
 住所:東京都中野区中野5−55−6(新仲見世商店街北隅)ワールド会館2F
 電話&FAX:03−3385−5530 
 Eメール:genko-vows3@i.softbank.jp
 担当(問い合わせ):釈 源光

■会費
 ワンドリンク 500円

親鸞聖人七百五十回御遠忌
中野・坊主バー創立8周年記念



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主催 中野・坊主バー/企画 編集意志3.11発刊準備室
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